ミニマム法律学

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故意 [2023年4月2日誤植等訂正]

*故意について(平野説)

1.犯罪が成立するためには、構成要件(TB)に該当し、違法性(Rw)阻却事由に該当せず、責任(S)要件をみたし、かつ、責任阻却事由に該当しないことが必要である。

  故意は、責任の領域に属し、犯罪事実の認識を指す。条文上は38条1項で「罪を犯す意思」と規定されている。犯罪事実とは、違法性を基礎づける事実である。故意があるというためには、違法性を基礎づける点で原則である構成要件と、その例外である違法性阻却事由が存在しないこと、その双方についての認識を要する。

 

2.故意は基本的に3つに分けられる。①犯罪事実実現を意図する場合(結果を意図した場合)、②それを確定的なものとして認識・予見する場合(結果の発生が確実だと思った場合、確定的故意)、③犯罪事実実現の蓋然性を認識・予見している場合(結果が発生しないことを信頼していなかった、すなわち、結局において結果が発生すると思っていた場合未必の故意)の3つである。

 ①では、結果発生の可能性が小さかったとしても、構成要件的故意に因果関係を有する結果が発生したか、発生する可能性があれば、(結果を意図した)故意による故意犯(既遂犯または未遂犯)が成立しうる。遠くにいる人を銃で狙い射ったときは、当たる可能性が小さくとも、構成要件的行為(銃の引き金を引いた行為)と因果関係のある結果(殺害)が発生しうる訳であるから、故意は認められる。

 ②では、いかにその発生を嫌い回避したいと思っていたとしても、故意ありといえる(確定的故意)。

 ③未必の故意は,結果が発生しないと信頼せず、発生すると思った場合である。ところで、故意と過失との分水嶺を画するのが、この未必の故意と、認識のある過失という概念である。後者(認識のある過失)は、結果の発生が可能だと考えたにもかかわらず、それが発生しないと(不注意で)信頼した場合、すなわち、結果発生が可能だと考えたにもかかわらず、それが発生しないと信頼した場合である。。

 

 なお、故意とは犯罪事実の認識であるが、当然のことながら犯罪事実の実行前の段階においては、犯罪事実自体はまだ実行されていない訳であるから、その認識ではなく、予見ということになる。

 

3.(1) 行為者に認識・予見された構成要件該当は、何も特定されたものでなくともよく、一定の概括的なもので足りるとされる。この場合の故意を概括的故意という。

 例えば、A殺害のため、留守中に鉄瓶の湯に毒薬を投入し、Aほか3名が飲んだが、味がおかしいのでやめたので、殺害に至らなかった場合に、Aに対して意図した故意が認められるが、殺害を意図しなかった他の家人に対しても、その家人が飲むことの予見があれば、故意(未必の故意)ありといえる。この場合の故意が概括的故意であり、実際に飲んだ人数に応じた故意犯(未遂罪)が、複数成立する。

(2) 複数の被害者のいづれかに結果が発生することを認識しながら構成要件的行為を行った場合の故意を、択一的故意という。

 パーティー会場でABに一緒に出されうるグラスの一方だけ致死量の毒薬を混入するような場合である。一方に対して択一的な確定的故意があるといえる。この場合、前述の概括的故意とは異なり、もともとの故意の個数は1つである。しかし、この場合も、複数の故意犯が成立する(既遂犯と未遂犯)。これは、未遂犯概念の特性によるものであり、未遂犯の故意(犯罪事実の認識)は、既遂結果は発生していない場合であり、既遂の可能性があれば足りるといえるからである。

 1つの故意で複数の故意犯が成立しうるのは、未遂犯に限られる。1つの故意で複数の未遂犯も成立しうる。

 

以上 2020©right_droit

 

 

*以下,故意の認識対象,認識内容,故意と過失の違いなどについて,参考にした文献を短くまとめています(出典等の部分を除き,140字×16ヶ=2240字)
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◇故意の認識対象(平野説)
刑法3/ 故意とは「罪を犯す意思」(#刑法38条1項)すなわち犯罪事実の認識をいう。犯罪事実とは行為の違法性を基礎づける事実である。違法性を基礎づける点で構成要件が原則、違法性阻却事由が例外であり、故意があるというためには、構成要件該当事実、違法性阻却事由の不存在の双方の認識が必要である。
[平野『刑法概説』75,78頁参照]

◇故意の体系的位置づけ(団藤説)
刑法13/ 「罪を犯す意思」(#刑法38条1項、故意)は、故意犯の構成要件(構成要件的故意)かつ責任要素である。犯罪事実の表象・認容が認められれば、構成要件該当性・有責性が基礎づけられ、犯罪事実の表象・認容を欠けば、構成要件該当性そのものが阻却される。期待可能性がなければ、責任が阻却される。
[団藤『刑法綱要総論』290、291頁参照。
 故意(mens rea)=構成要件(TB)・責任要素(S)。
 そもそも故意は、責任(S)の領域の問題である。しかし、小野博士(団藤綱要134頁参照)・団藤教授は、故意は構成要件かつ責任要素であるとする。もっとも構成要件としての故意は、それを主観的・客観的な全体として考察した『違法類型』としての『客観的構成要件要素』と見ているようである(同頁参照)。さらに、この構成要件的故意(構成要件としての故意)は、責任要素の定型化としての意味も持ち、『有責類型』でもあるとされる(同書136~138頁参照)。]

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◇犯罪事実のどのような認識が必要か(故意の認識内容)
[・行為とは意思にもとづく身体の動静であり、意思的な要素は、行為概念のなかにある。故意は、その意思の内容は何かという問題である。
自己の行為の結果として人が死ぬであろうことを認識・予見したときは、これを、行為を思いとどまる動機にしなければならない。それにもかかわらず、思いとどまる動機とせず、その行為をしたことを非難するのである(認識説=動機説)。
結果の発生を認識しながら、あえてでなく、行為に出るということはありえない。いいかえると、認識しながら行為にでたときは常に故意がある。とくに認容という(情緒的な)概念が必要というわけではない。]

◇故意の認識内容(認識説=動機説)
刑法63/ 行為は意思にもとづく身体の動静。意思的な要素も含む。故意は,その意思の内容は何かという問題。自己の行為の結果として人が死ぬであろうことを認識・予見したときは,#行為を思いとどまる動機にしなければならない。にもかかわらず,#思いとどまる動機とせず,行為したことを非難するのである(動機説)。
[平野『刑法総論Ⅰ』(1972年)185頁参照]

◇認識説(動機説)
刑法228/ 故意を認めるために意思的要素を要するとしても,それは,行為に出る意思たる行為意思であり,故意の要素ではなく,行為の要素として既に行為認定時に考慮済。#故意の有無にとっては行為者の認識内容が問題であり(認識説),TB実現が行為者の意識内に浮かんだが,それを否定しつつ行為にでたときも,故意あり。
[山口『刑法総論』3版43頁注15,214頁-215頁参照。
・いわゆる認容説では,故意を認めるためには,認容という意思的態度(意思的要素)が必要だとする。この見解によると,構成要件の実現が一旦は行為者の意識内に浮かんだが,それを否定しつつ行為にでた場合には,故意そのものではなく,未必の故意として故意責任が認められるようであるが,平野教授・山口教授のとられる認識説(動機説)によると,その場合も端的に故意ありとされるようである。平野『刑法総論Ⅰ』(1972年)186頁-187頁も参照。
 認識説(動機説)の方がよりシンプルでわかりやすいと,私は思います。]

◇凶器の種類・用法,創傷の部位・程度(客観的な情況証拠の積み重ね)
刑法229/ 故意につき認容説に基づけば,意思的要素まで認定要。殺人の故意の認定では,①どのような凶器を使用したか(凶器の種類),②それをどのように使ったか(用法),③身体のどの部位に,どの程度の創傷を負わせたか(創傷の部位と程度)が重要という。but,これは,#実行行為に生命侵害の現実的危険性があるかの問題?
[大塚裕史『ロースクール演習 刑法』2版(2013年)6頁,受験新報799号(2017年9月)109頁,山口『刑法総論』3版214頁-215頁,参照]

殺人罪の実行行為
[・殺人罪の実行行為は、生命侵害の現実的危険性のある行為をいう。
 本件では、ナイフという殺傷能力の高い凶器が使用されており、創傷の部位は、腹部という多数の臓器が存在する人体の枢要部である。切りつけるより深い傷を負わせることのできる、刺すという方法を用い、それを3回も行っていることから、生命侵害の危険性が高い。さらに、Vは大量に出血し意識を失っていることから、刺突行為がいかに激しかったかを物語っている(創傷の程度)。
 したがって、乙のV刺突行為は、生命侵害の危険性の高い行為であり、(傷害罪ではなく)殺人罪の実行行為にあたる。]

刑法61/ 殺人罪の実行行為は,生命侵害の現実的危険性ある行為。
本件で,ナイフという殺傷能力の高い凶器が使用され,創傷部位は,#腹部という人体の枢要部。深い傷を負わせられる,#刺すという方法を用い,それを3回も行っている。さらに,Vは大量出血し意識を失っていることから,#刺突行為の激しさがわかる(程度)。
[大塚裕史・受験新報799号(2017年9月)109頁参照。→したがって,乙のV刺突行為は,生命侵害の危険性の高い行為であり,(傷害罪ではなく)殺人罪の実行行為にあたる。殺人罪の実行行為(正犯性の認められる行為者の行為)。]

殺人罪の実行行為性
刑法233/ Aが高速度走行する車から転落すれば相当の衝撃を受けること,頭を強打すれば死亡する危険が高いこと,市内の国道上なので深夜とはいえある程度,交通量があり,路上転落により他車に轢かれる可能性も少なくないこと等を考えると,甲の行為は,Aの生命に対する高度の危険をもった行為,#殺人の実行行為性あり。
[『刑法事例演習教材』初版(2009年)有斐閣〔1〕ボンネットの上の酔っぱらい 3頁参照。R23①]

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◇故意と過失のヴァリエーション
刑法230/ 故意:①#犯罪事実実現を意図する場合,②それを確定的なものとして認識・予見する場合(#確定的故意),③#その蓋然性の認識・予見のある場合(未必の故意)。過失(犯罪事実の認識・予見の可能性ある場合):①犯罪事実が一旦は行為者の意識に上がったがそれを否定した場合,②行為者意識に上がらなかった場合。
[山口『刑法総論』3版214頁,平野『刑法総論Ⅰ』(1972年)187頁,参照。
・故意:①意図,②確定的故意,③未必の故意。過失:①認識ある過失,②認識なき過失。]

◇二種類の確定的故意
[・確定的故意には二種類のものがある。一つは、結果を意図した場合であり、今一つは、結果の発生が確実だと思った場合である。結果を意図したときは、その発生の可能性が小さい場合でも(因果関係がない場合は別)、故意がある。たとえば、遠くにいる人を銃で狙って射ったときは、当たる可能性が小さい時でも殺人の故意がある。他方、結果の発生が確実であるときは、いかにその発生を嫌い、これを回避したいと思っていたとしても、故意がある。たとえば、保険金をとろうとして家に放火したとき、家の中に寝ている病人が焼死することは確実だと思っていたとすれば、いかにこれを嫌う人格態度を示していたとしても、やはり殺人の故意があるといわざるをえない。]

刑法65/ 確定的故意には,①#結果を意図した場合,②#結果発生が確実だと思った場合あり。①では,その発生可能性が小さくても(因果関係ない場合,別),故意あり。遠くにいる人を銃で狙い射ったときは,当たる可能性小さくても殺人の故意あり。②では,いかにその発生を嫌い回避したいと思っていたとしても,故意あり。
[平野『刑法総論Ⅰ』(1972年)187頁参照。二種類の確定的故意]

◇故意と過失の分水嶺(認識説による)
[・故意と過失とには、質的な差がある。蓋然的であるか可能であるかという判断は、一般的な判断であるが、具体的な当該事件では、結果は発生するかしないかのどちらかであって、その中間は存在しない。したがって行為者も、一応は、結果発生の蓋然性がある、あるいは可能性があると考えたとしても、結局においては、結果が発生するであろうという判断か、結果は発生しないであろうという判断かのどちらかに到達しているものと考えることができる。このような意味での犯罪事実の認識の有無が、故意と過失との限界をなす。]

刑法64/ 故意と過失の差は質的。具体的当該事件では,結果発生・不発生のどちらか。行為者は,一応は,結果発生の蓋然性・可能性があると考えたとしても,#結局_結果が発生するだろうという判断か_結果は発生しないだろうという判断かどちらかに到達。このような意味での犯罪事実の認識の有無が,故意・過失の限界。
[平野『刑法総論Ⅰ』(1972年)187頁参照]

◇認識のある過失
[・認識のある過失とは、結果の発生が可能だと考えたにもかかわらず、それが発生しないと信頼した場合をいう(ドイツ刑法,1956年総則草案17条参照)。未必の故意は、結果が発生しないと信頼はしなかった、すなわち、結局において発生すると思った場合をいう(同1962年草案参照)。
認識のある過失も、結局は結果の不認識と不注意にその本質があるといえる。したがって、認識のない過失と全く性質の違ったものとしての認識のある過失(結果の発生を認識しながら、認容しなかった場合=不注意という要素がない)というものは、存在しない。それはただ、一応、結果の発生が可能だと考えたが、結局は否定したという場合にすぎない。]

刑法66/ 認識のある過失は,#結果発生が可能だと考えたにもかかわらず_それが発生しないと信頼した場合。未必の故意は,#結果が発生しないと信頼せず_発生すると思った場合。前者は,結果不認識と不注意が本質。結果発生を認識しながら,認容しなかった場合ではない。結果発生可能だと考えたが,結局,否定した場合。
[平野『刑法総論Ⅰ』(1972年)188頁-189頁参照。認識のある過失と未必の故意との違い(認識説,動機説)]

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◇故意の構成要件関連性
刑法231/ メタノール所持・販売処罰の罰則適用にあたり,行為者にはメタノールたることの認識が必要で,単に身体に対する有害性の認識があったのでは足りない。もっとも,覚せい剤輸入・所持事案で,#覚せい剤たることの可能性が行為者の認識から排除されていなければよいとし,TB該当事実の認識が緩やかに解された。
[山口『刑法総論』3版202頁(最判昭24・2・22刑集3-2-206,最決平2・2・9刑集1341-157)参照]

◇概括的故意
232/ 行為者に認識・予見されたTB該当事実は,特定されたものでなく,一定の概括的なものも可(#概括的故意)。たとえば,A殺害のため,留守中に鉄瓶の湯に毒薬を投入,Aほか3名が飲んだが,味がおかしいので飲むのをやめ,殺害に至らなかった場合,家人も飲む予見あれば,#実際に飲んだ人数に応じ故意犯(未遂罪)成立。
[山口『刑法総論』3版203頁(大判大6・11・9刑録23-1261)参照]

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◇規範的構成要件要素の認識の問題
刑法212/ TBの認識のために規範的判断を要するものがある(#規範的TB要素)。行為者に規範の正しい当てはめ,すなわち,高度の法的知識が求められるわけではないが,裸の自然的事実の認識以上の,#意味の認識が要求される。意味の認識あれば,故意犯成立は否定されず,違法の意識の可能性を欠く場合にのみ否定されうる。
[山口『刑法総論』3版204頁-206頁参照]

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◇択一的故意
刑法9/ 母と妻からこもごも小言を言われ酒癖の悪いXは憤懣やる方なく、囲炉裏の反対側の両人めがけ憤激の余り本件鈎吊し(かぎつるし)を振りつけ、母Bの前頭部にあてたものである。Xは両人のいずれかにあたることを認識しながらこれを振ったのであり、その暴行はいわゆる択一的故意によるといえる。#刑法
[東京高判昭35・12・24下刑集2-11・12-1365『判例ラクティス』刑法Ⅰ総論〔90〕参照]

◇択一的故意と故意の個数(未遂概念の特性)
刑法10/ パーティー会場でABに一緒に出されるグラスの一方だけ致死量の毒薬を混入するような、いわゆる択一的殺意ある場合、1個の故意(殺意)で複数の故意犯(既遂犯と未遂犯)成立を肯定できる。既遂の可能性で足りる未遂概念の特性による。併存しうるのは未遂犯に限られ、未遂罪二罪も成立しうる。#刑法
[山口『刑法総論』2版211頁参照]

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略号: ☆問題,〇判例,◇その他。R論文,Q設問,T短答。⇒ならば,∴なので(したがって,よって,ゆえに),∵なぜならば,⇔これに対し(て),orまたは,butしかし(もっとも),exたとえば。TB構成要件,Rw違法性(違法),S責任(有責性)
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